管 理 人 の 独 り 言
NO.25 武蔵の名刹・慈光寺のシャガ
私の住む坂戸市の北15キロほどの所・都幾川村に古くからある由緒正しい慈光寺という寺院があります。 この寺は戦国時代に信長に滅ぼされた甲斐・武田勝頼の血縁の姫が常陸結城の地を頼って落ちのび る途中に病を得て、この地に留まり住み着いたという由来に基づいて建立されたと伝えられています。 寺の建てられている場所が山深く人里離れた草深い土地であって四季折々に沢山の山野草で彩られ 訪れる多くの人達を歓迎してくれています。この時期は、寺の境内を無数のシャガが一斉に白い花を つけて咲き乱れ、文字通りに見事!の一文字でしか表す以外に表現のしようがないという風情です。 09・05・04 |
NO.24 薔薇のオープンガーディンを覗く
前回、我が家の薔薇を紹介しました折に、近くのオープンガーディンを見学に行くといいまし が、梅雨に入る前にと思い訪ねてきました。庭園は今が盛りと薔薇の花で埋め尽くされていまし た。主としてイギリス、フランスのものが多いのですが、なにはともあれ奇麗な花を愛で、椅子 に腰掛けて紅茶とケーキを頂戴して1000円也は格安です。何組かのカップルや夫婦連れが いましたが、我々夫婦もそうした人達と花の会話を交わしたりして結局3時間余りの時を過ごし ました。それにしても好きな薔薇を育て楽しんで多くの人に喜んで貰っているオナーに感謝です。 07・05・30 |
NO.23 花の街・越生町;五大尊を歩く
私の住む坂戸市の隣に位置する越生町は文字通りの花の街として有名です。冬には梅園の 沢山の白梅・紅梅が咲き誇り、4月には桜山公園の無数の桜が一斉に咲き始めて多くの人達 を楽しませてくれます。そして、初夏のこの時期になると五大尊の山に植栽された数々の種類 のツツジが咲き競い、いたるところで大田道灌ゆかりの山吹が眩い黄色の花びらを咲かせて います。そして梅雨を迎える頃には町の北辺にあるアジサイ山では色とりどりのアジサイが咲き 始めて全山がアジサイ一色という奇観を求めて訪れる人々を喜ばせてくれています。ところで、 この越生町の町長さんは、なんと!、我が長高の大先輩なんであります。名前は本清一雄さん で、卒業年度は多分昭和28年くらい、柔道部に在籍し弟さんも我々より3期ほど先輩で同じく 柔道部におりました。この本清町長の口癖は、鵜澤さん・・・越生はなんにも無いから、せめて 花くらいは豪華に揃えましょう・・・というわけですヨ・・・ 07・05・03 |
五大尊のツツジ園;上部を望む
(下の画像はクリックし拡大して御覧下さい)
ツツジ園の入り口付近 | 中腹の斜面 | 上部の広場遠景 | ||
色鮮やかに咲くツツジ | ツツジの前に立つ妻 | 越生の銘木・山桜の大樹 |
NO.22 梅花満開の新しき村界隈
日本を代表する文豪家にして大思想家である武者小路実篤が終生の事業として創設した 人間の共生の場・新しき村は、大学の近く、私の自宅からも徒歩で15分程度の所にありま す。ここは私の散歩のコースの一つであり春夏秋冬、一年を通じて頻繁に歩き回っておりま す。今回は梅の花が満開の新しき村をご紹介します。どうぞ、ジックリとご覧下さい・・・ |
新しき村の周辺は暖冬のせいでしょう、梅が今を盛りと咲き誇ったいました。
私の自宅からは、田んぼの畦道を通って村の裏門に入ります。 | 畦道の途中から見ると、今では貴重な『里山』風景が展開しています。 | |
村の梅の木は観賞用であると同時に住民の梅干にもなっています。 | 村の小公園には村人が手彫りをした彫刻が数多くあります。 | |
村の中央にある美術館で見かけた実篤直筆の可愛い童絵 | 実篤の有名な句、天に星・地に花、・人に愛を思い出させるレリーフ文字 |
NO.21 秋色が真っ盛り・毛呂の里
武者小路実篤が開設した「新しき村」・たわわに実る柚子 |
武者小路実篤の納骨堂・「愛」の文字が象徴的です | 新しき村から鎌北湖に向かう里山道・後姿は妻 | |
湖岸が少し色付き始めた鎌北湖の風景 | 町にはチョット贅沢?すぎる総合体育施設 |
川嶋氏が寄贈したヒカンサクラ・・・この時期可憐な花を着け出しました!
NO.20 アザミ咲く初秋の秩父路
初秋の秩父に行ってきました。秩父は埼玉県と群馬・長野の県境に位置する山岳地帯です。 今回は、その秩父の一番手前にある 『顔振峠』 を訪ねました。顔振峠とは面白い名前ですが 実は、遥か昔、義経が頼朝の追っ手を逃れて奥州に向かう途中に相模の国から武州に通じる この峠に差し掛かった折に、峠の上から鎌倉方面(下の画像の丹沢山塊の左奥)を何度も何度 も振り帰り顔を振ったといういわれがあります(安房・房総にも鎌倉時代の言い伝えの残る沢山 の場所がありますネ。ニエモン島や一宮川の河口に架かる船頭橋等・・・) ところで、この峠から周囲を見渡しますと関東平野が一望できます。下の画像にある東京方面 では新宿・池袋のビル街が遠く望めます。さらに、この近くには 「関八州見晴らし台」 という山 があり、遠い昔にはこうした高所から人々が関東全域の八つの国々を眺め渡したのでしょう。 なお、この「関八州見晴らし台」には、城西大学山岳部の現役諸君が大学の隣にある幼稚園の 卒園する園児たちを連れて毎年、春に登山しています(この卒園行事は、ナント30余年にわたり 途切れることなく毎春の年中行事で続いています。これはチョットした自慢話ではありますが) 又、下の画像に 「武甲山」 とありますが、この山は全山石灰岩で出来ており、昔からセメント の材料として掘り続けられていて、今では微かに頂上の一部を残し、全体的に削れ取られて山容 がやせ細った姿を曝しています。山好きの人達にとっては何とも切なく寂しい限りです。 06・10・08 |
山道の傍らにひっそりと咲くアザミの花
下の画像はクリックすると拡大されます
樹間から遠くに屹立する武甲山を望む | 画面中央より左側の山並みは丹沢山塊 | |
顔振峠の茶屋の前に聳える山桜の古木 | 東京方面を見渡すと遥か先に新宿の高層ビル街が見える |